平和の森荘 鹿児島県の離島【徳之島】で経営する民宿平和の森荘が地場産品を専門に販売しています。

屋号の由来

 平和の森荘」屋号の由来

 

 創業の決意

1981年(昭和56年)、創業者の徳田豊成が農業に手詰まり感を持ち、小さな民宿を開業することを決意。

 

 事業着手 

当時天城町松原ですでに民宿として開業していた「宮田荘」と徳之島町下久志の「ときわや」を視察。大工気のある創業者は早速自分で図面を引き基礎工事の準備に着手。その間に知り合いの大工数人に声をかけて木材等の材料を搬入して加工を始めた。作業を進める中で、トイレの設置や調理室・食堂の確保などで面積が少しずつ膨らんでいったが、農地を処分するなどして資金を調達。、約3カ月でお客様を受け入れる環境が出来上がりました。

 完成のお披露目の席

徳之島では家屋を新築しますと、親族や集落の皆さん・知人友人を招いてお披露目の祝いをする習慣がありますので早速皆さんを案内して新築祝いと相成りました。その席でお祝いのことば等をいただきましたが、まだ正式な屋号を決めていなかったためとりあえずは「徳田荘」ということでその場を進めることとなりました。

宴が進むにつれ出席の皆様からいろんな意見が出されました。創業者から、「多くの皆さまにご利用いただく施設にするためには、皆さんのご意見を参考にしたい。」との言葉があり、すぐに紙片を準備して出席者の皆さまに配って、その場で思いつく屋号名案を記載してもらい回収させていただきました。

  屋号の決定

翌日皆さまの提案を整理したところ、最も多かった「平和の森荘」に決定。冠を「旅館」とするか「民宿」とするかについては家族で話し合った結果、創業者の強い意向を反映して「民宿」とし、旅館業営業許可の施設の名称は「民宿平和の森荘」となりました。営業許可は昭和56年7月13日付け。

 「平和の森」とは

平和の森」とは、すぐ近くのモクマオウ林に由来するものです。

先の第二次世界大戦末期の陸軍特攻隊中継基地「旧陸軍浅間飛行場」は、民宿から南へ約1キロ。鹿児島の知覧や万世から特攻隊として多くの若者たちが南方に向け出撃していき、沖縄の空で散華しました。

戦後間もなく、飛行場跡地最北端の広大な砂浜にモクマオウ林を造林。

1975年(昭和50年)6月には、特攻隊として戦火に散った若者の御霊を慰めるために特攻平和慰霊碑が建立されました。碑は旧滑走路の北端のモクマオウ林を背景に南向きに建てられています。

この慰霊碑の建立を機にモクマオウ林を「平和の森」と称するようになりました。

ところが、2019年にモクマオウ林を所有する浅間集落が全ての木を伐採してしまったため、現在は広々とした空間が広がっています。

2019年まで慰霊碑の後方に広がるモクマオウ林が「平和の森」と呼ばれていました。